Coin Toss

VOGUE KOREA11月号のBEGページが秀逸すぎる。

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こういう表情をしても「愛らしく」あることが出来るガインちゃんのバランスって素晴らしい。

ボーイッシュな髪形に、この目力。 だけど衣装と内股で強くなりすぎてない。 この構図は素晴らしいなぁ。思わずため息。

「お人形さんみたい」なんて言葉があるけれど、この子は静止画であっても決してお人形さんにはならないよね。心臓が動いていて、血が巡っている感じが伝わるというかなんというか。素晴らしいです。

そしてこちらの一枚も素晴らしい。

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なんだかんだこの2ショットが一番好きだなぁ。

ガインちゃんは1枚目と2枚目のニュアンスがまるで違う。 年齢やバックボーン、生きてる時代すら違って見える・・・っていうのは私の妄想のしすぎでしょうかね(笑)

BEGって「反逆者」とか「囚われの身」等々、 ある物を起点とした時に「反対」にあるものとして描かれることが最近は多いし似合う。
彼女達が秀逸なのは単純に反逆者の設定です、とかなんとなく姐さん達を拘束してみましたっていう「似合いそうだからやってます」っていう感じじゃなくて、「何かあって反逆者になってるんだろうな」とか「なにかあってこんな風につかまってるんだろうな」っていう点ではなく線が見えるところ。 シックスセンスにしてもサインにしても、VOGUEにしても「なんかあってこうなってるんだろうな」っていう想像の余白がある。

点ではなく、線で見えるのは姐さん達の生き方そのものが「挑戦すること」と切っても切り離せないものだからだと思う。

私は元々こちら側が姐さん達の裏側であって、面白くて気の良い部分が表だと思っていたんだけど最近は実はこっちが表なんじゃないかと思うようになってきた。

面白くて気の良い人達が、こういうことも出来る。 ではなく、 こういうことが出来る人達が、面白くて気の良い人達だったという認識。

「ちょっとした呟き」

7,8年通わせてもらってる大好きなブロガーさん宅が最近荒れてる。 書き手と読み手って難しいものだよね。 認識がまるで違うんだもん。

「である」とか「と思う」とかいう書き方を例えしていたとしても、それはあくまでも「こういう一意見もありますよ」という提示にしかすぎないのに、読み手の一部には「提示」ではなく「断定している」として受け取られてしまう場合もある。

私なんかも、妄想がすぎることとか、極論を書いてみたり、あほくさいことや、偉そうなことや、意味わかんないことを多々書くし、そこで「である」とか「と思う」なんて言葉も使うけれど、それはあくまで「こういう意見もあります」っていう提示であって、自分が正しいなんてこれっぽっちも思ってない。 今日のコイントスっていう記事だって溺愛しすぎてて、おかしな記事書いてるなぁという認識はあるけれど、書きたかったんだもん(笑) っていうただそれのみでこうやって晒してるわけです。

難しいもんだねブログって。 閉鎖とかしてほしくないなぁ。

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