香港四重奏+香港四重奏II

本日、東京国際映画祭参戦してまいりました。

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今年のラインナップは去年程胸トキメクものではなかったなーと。とはいえ、「那些年, 我們一起追的女孩」(邦題 あの頃、君を追いかけた)だけはどうしても見たかった。
しかし、仕事の都合がつかなくて断念。 まぁ単館上映でどっか拾ってくれるだろうと楽観視はしてますが・・・(取らぬ狸だったら泣くな・・・評判良いからさっ)

そんな本命に振られた私が本日見てきたのは「香港四重奏+香港四重奏II」

4話のオムニバス映画二本立てといった感じ。

映画祭公式HPには「オムニバスで香港社会を切り取るシリーズ」なんて言葉が踊ってる。

正直な感想を述べると・・・・こんな詰まらない映画は久々に見た。もちろんオムニバス映画っていう事前知識で大した期待もしてなかったけれども・・・それでも予想以上につまらなかった。
映画祭でいびきが聞こえるというシュールさ、上映が終わった後に漏れる「意味わかんなかったね」のひそひそ話に思わず笑ってしまった。

きっと良く良く見ると映画に詰め込まれたトリックだったり、監督の意図してることが少しはわかるのだと思う。 ただし、映画館で見るという一期一会の出会いの中では、それを汲み取るのは難しいと思った。DVDでみるとまた違うのだと思う。ただし、DVDを買って、なんとしても汲み取りたいっていう意欲を沸かせるような熱は映画には無かった。 だから私の中では意味のわからない映画として終わってしまうとは思う(泣)

参加監督のほかの作品を事前に見てると「あーここはこういうオマージュなんだ」とか、監督のインタビューを読んで「なるほど、こういうことだったのね」ということを感じる機会はもしかしたら今後あるかもしれない。
だけれど「後付け」や「前置き」じゃなくて本編でしょ! と、正直に思うのであって、こういう私はいつまでも「芸術映画」とは平行線のまま生きていくんだと思う(笑) すくなくともある程度の大衆エッセンスを入れてくれないと私の肌には合わないなーと。

香港四重奏Ⅱの「Mホテル」という作品はホテルらしき建物の窓辺に二人の男がいて、何やら話したり、外を見たりしている。 セリフは音声加工されていて、言葉として聞き取れない。 ただそれだけを10分程上演するという作品(笑)
最期に何かあるのかと思ったけれど、それすらも無かったもんだから、エンドロールが流れた瞬間の客席のに「えっ!?何これ!?」という一体感は凄まじかった(笑)

私はケイトちゃんの愛くるしい御姿を一目見るためと、帰りに一蘭のラーメンを食べるためだけという超不純な動機でこの映画のチケットを取ったので作品として面白くなかったとしても大して痛くもかゆくもなかったけれど・・・なーんでこの作品を引っ張ってこようと思ったのか映画祭の運営の意図が猛烈に気になった。

なんだか酷評チックになってしまったけれど、これは酷評ではないんです!(キッパリ)

私が言いたいのは尺度の無い映画には正しい見方が無いよね。ってことだったりします。

面白い/面白くない/切ない/楽しい/悲しい/瑞々しい 色んな形容詞があって、少なくとも多くの映画はそのどこかに当てはめようと作られてると思う。 ただ、香港四重奏+香港四重奏IIはどこかに当てはめようとしてる形跡が本編にほとんどない。 浮遊してる映画だった。

わー浮遊してるなー、観客が着いてこれてないなーというシュールさを体験するには非常に面白い機会だったけど、1本でもタコ糸を垂らしといてくれると面白かったんじゃないかなーと思わずにはおれなかった。 そう、大衆っ子なのです。

映画が浮遊してたから、私の記事も浮遊してるわい(笑)

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