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シークレットガーデンを最期まで見てしまった。① | EARTHHOLIC・MEMORANDUM

シークレットガーデンを最期まで見てしまった。①

作品との出会い方って時間の都合だったり、自分のアンテナが向いている方向だったり、キャスティングへの興味の度合いで全然変わってくる。

だからリアルタイム視聴をする時もあれば、再放送だったり、数年後にDVDを借りてくる場合もある。 そして、そういうタイミングと言うやつで作品に対する温度も変わってくるんじゃないかと。 そんなことをシークレットガーデンを最終回まで見てふと思った。

本当に素敵な作品だっただけに、一気見という「間のない」視聴方法で煮詰められなかったのが残念です。
小説でいう行間や、演劇でいう間の取り方とちょっぴり通じてる気がする。1週間放送を待ちわびてあれこれ妄想を膨らますのもドラマをより楽しく見る方法ですね。とは言え、リアルタイム視聴はじめたら、駄作だったなんてことも珍しいことではないですから、そういう見方を生活の中に取り入れるのが厳しかったりも。

っということで間を楽しめなかったのは凄く残念だけど、自分の中で出来る限りテンションを上げながら、エントリー書いていきたいと思います。

まずは「古典の凄さについて」

例えば、あるドラマの冒頭、ヒロインが自宅で食事の席につくシーンがあったとする。セリフはほとんどなく、ただ食事を用意するという設定。
しかしここに登場するのがどうやら血の繋がりの無い様子の母と、姉二人だったならば、視聴者は何を感じるのか?

「家族構成」たったこれだけの情報で多くの人が世界的大古典「シンデレラ」を無意識の内に頭の中から引っ張りだしてくるのではないだろうか。そしてその無意識が「このヒロインはきっと健気で頑張り屋なんだろう」というところまで伸びていく。

もちろん古典を下敷きにせず誕生したヒロインは世の中に腐る程いるわけで、下敷きにしようがしまいが結局は脚本の力に左右されることが多い。 ただし、人間は頭に刷り込まれている情報や過去の経験を無視して物事を考えられない生き物だから、少し下敷きを引いてあげるだけで「この子は愛されるべきヒロインなんだ」とすぐに認識してしまう。

シークレットガーデンが「人魚姫」という古典を下敷きにしたことで、ストーリーの流れや言葉や表情や態度で描かれるライムというだけではなく、そこに「付加価値」が加わったライムとして視聴者に受け入れられたと思う。

何を良くわからないことを言ってんだーとお思いの方もいるだろうけれど、こういう刷り込みって日常にごろごろ転がってるものです。

例えば、私は片親で育ったんですけど、そのことを何かの機会に知られると「凄い苦労して育ったのね」っていうことになります(笑) 実際は何の不自由も感じず、みじめな思いなんか1回もせずに、能天気に生きてきたんですけどね(苦笑)

つまりはライムが楽しそうだったり、その次の瞬間には泣いてたりするシーンを見て、私たちはそこにいるライムだけではなく同時に人魚姫のストーリーも無意識になぞって感情移入してるんではないか?ということが言いたいわけです。

シナリオに上手くこういうギミックを組み込みつつコメディーパートもしっかり笑わせてくれる上手さに脱帽。 ほんといいシナリオだと思うよ。

「現代版シンデレラ!」とか枕詞つけてあからさまにオマージュするのではなくて、下敷きとして上手く使うのが古典の正しい使用方法だとつくづく思いました。

脚本家の人に直接聞いてないから超勝手な推測だけど、たぶんライムってジュウォンと恋に落ちる女の子として生み出された女性だと思う。
ジュウォンがニワトリでそのニワトリが生んだ卵がライムという関係性。

貧しいスタントウーマンをヒロインにしたドラマを撮りたいから、相手役は財閥のお坊ちゃんにしようっていうライムがニワトリパターンは私には想像が出来ない。

おとぎ話のような世界とそこで主人公となる御曹司の青年、そしてそのキャラクター、それらがある程度固まってからライムが生まれたと勝手に思ってます。 =ジュウォンが恒星であり、ライムが衛星

そういう印象で見てたからなのか、ジュウォンは軸がぶれないけど、ライムは時々ストーリーの都合に左右された行動を選択する場面もあった気がする。なんでそうなるねん!みたいなね。 得にVSジュウォンオンマの描写は別れると言ったり、別れないと言ったり、ジュウォンに相談すればいいのに全部一人で抱えたりetc ストーリーの引力に大分左右されてたように思う。 ただ、そこがあまり気にならないのは下敷きが上手く作用したからだと思います。 別れを選択して辛そうな顔をしてるライムに「なんでそんなこと一人で選択するねん (怒)」みたいな気持にならないのは「あぁぁぁ人魚姫にはならないで私のライマー」って思ってたからだとw

下敷き万歳!

ちなみに同じ御曹司物でも、ニワトリのパターンと卵のパターンがある。

台湾ドラマの下一站幸福は人魚姫を下敷きにしてる点も、御曹司×雑草のカップリングもシークレットガーデンと同じだけど、あっちはヒロインである慕橙がニワトリのドラマ。 だから共通点は多いけれど、流れてる空気感が全然違う。

ヒョンビンが出演してたキムサムスンも同じ御曹司だけれど、サムスンがニワトリだよね。

ドラマって簡単にラブラブにさせられないから、色々と起こさなきゃいけない。そうすると主人公かヒロインのどちらかの卵が御都合主義的に動かないとならなくなる。
視聴者はそういうのに対してブーブー文句を垂れるわけですが、シナリオのギミックによってはそれを上手く目立たなくさせることが出来るんですね。 その商品ってどこの通販で売ってるんだろ?(笑)古典ファンデで目の下のクマを・・・・

ところでストーリーに全然触れずにここまで書いてきてるって相変わらず長記事書くクセが・・・というよりむしろ病気が治らない(笑)

続きはまた今度。

ジウォンちゃんカワユス♥

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