(ネタバレ含んでます。ご注意!!!)
もう、アオタいいかげんに首部曲ネタはお腹いっぱいだよ! というのはわかってるんですけどね(笑)
でも、言いたいことがあるんだからしかたないっ(開き直りw)
んで今日言いたいことは 「陳琳をカットしたのは、想像しているよりずっと罪深いことでしたよ」ってことです。
そう思う理由は主に2つ有ります。
① 全体像が観客に届かなかったこと。
② 女優陳意涵に対して、あまりにも酷すぎる仕打ちだから。
①については後術しますが、②については、カット版を見てくれ!としか言えません(涙目)
たぶん今後もしつこく陳琳については語っていく予定ですが(苦笑) ②の理由については掘り下げる気はないんです(´_`。) でも、たぶん、見れば絶対わかると思う。
正直なところ、これを特典映像としてDVDにのっけちゃってるのもどうなんだろう?とすら思いますわ(遠い目)なんか愛が足りてない気がするなー。 あれだけ鼻息荒く望んでいたアオタですが・・・・怒>嬉の心境ですわ(泣)
よくアイビーちゃんサイドは我慢してるなーと思いますよ・・・・(小声) ブチ切れてもいいと思うレベル。 (もっと俳優さんを大事にした方がいいと思うよ・・・)
でも裏を返せば、女優陳意涵の魂がこもった素敵なシーンの数々なので、より多くの人に見てほしいなーと思います。 (ここだけの話YTに最近上がってますので・・・・)
さてさて恨み節が長くなってしまいましたが(汗)このエントリーの本題をば。
タイトルまんまです。
例えばスタウォーズの前日譚であるエピソード1,2,3は1人の純粋な青年がダースベーダーになるまでの過程を描いている。
じゃあ、痞子英雄ならば? 脚本家さんは何を描こうとしたのか?
んで、私が問いたいのは映画を見た人の中で明確な「答え」を見つけられた人っていたのだろうか?ということなのです。 得に日本公開サイズで・・・否、台湾公開サイズでも見つけられた人っていたのかなって。
しっくりするものをみつけられたのだろうか?
この点において、ずっと、喉に小骨が刺さったような気がしていたのです。 だって、私はしっくりするものを見つけられなかったから。
「エンターテーメントを追求している」とか「ハリウッド級の映画」とか、そういう言葉で、お茶を濁していたかもしれません。
すげーーかっこ悪い話ですが、お茶を濁してでも私はこの作品をバッサリ切るようなことはしたくなかったのかも・・・・。
というか、むしろもっと無自覚だったのかな。
だって「エンターテーメント」だとか「ハリウッド」だとかって言葉で飾られると素敵に見えちゃうんだもん。 あれです、NASA開発とか書いてあったら、すげーって思っちゃうやつと同じです。(実際凄いんだけどね)
でも痞子英雄をハリウッドという定規で測っている時点で、なんだか寂しいよね(泣) というかそれって違くない? どっか測り間違えてないか?
じゃあ、どういう定規で測るべきか?を考えたところ。 近くの100均で良い感じの定規を見つけました。それがコレ↓
「もしあなたが痞子英雄の脚本家だったならば、どんな映画にしようと思うか」という定規です。(真っ赤な嘘です)
でも、こういう考え方の方がより近づけると思うのです(開き直りw)
想像力をフルに使って、もし自分が陳慧如さんだったらどうするだろう? と考えてみる。
与えられた条件は「前日譚」であること。 ドラマ版から引き続き描けるメインキャラは英雄と陳琳のみ。 細かいエピソード構築はさて置いて、さぁ、あなたなら根底に何を描きたい?
そういう物差しで考えると・・・
「まず第一に英雄をハリウッドテイストで描いてみたい」
なんて答えにはなかなかたどり着かないんじゃないでしょうか? いや、それも間違いではないけれど、 ストーリーテラーとして真っ先に考えることは絶対そこではないはず。
そもそもあの痞子英雄の脚本家ですよ。 色んなところに気付かれないように種を蒔いて、エンディングに向けて一気に花を積もうとするはずなのです!!!! もっと緻密な構成をするはずなんだよ!!!
「なるほだな~」と唸らせてくれるはずなんだよ!!!!
そしてもし私が、あなたが、痞子英雄の脚本家ならば、絶対「コントラスト」を描きたくなるはず。 ハリウッドへのチャレンジは二の次で、まず人間の交差を描こうとするはず。
だってこの作品のタイトルは「痞子英雄」なんだもん。 ブラック&ホワイトですよ。
白と黒の対比。 灰色の面白さ。 正義の難しさ。 暗闇のその先。 類じゃない友。
交わることすら想像できない人間達が、ある出来事によって次々に交差していく。それがドラマ版痞子英雄の面白さだったはずじゃん!(ぜぇ、ぜぇ 息切れ)
でも、映画版はその面白さが無かった・・・。
英雄とダーフーのコントラストなんて、ぶっちゃけ有って無いようなものだったと思う。 黒と白の綱引きが出来るところまで緻密には描かれてなかった・・・・。
やっぱり在天じゃなきゃ! と思った人は少なくないでしょうね・・・。
こんだけダラダラ書いてきましたけれど、ここまで書いてきたことを6行で要約するとこういうこと↓です。
・もし痞子英雄の脚本家なら「コントラスト」を描きたくなるはずだよね?
↓
・ でも、映画版ではそれは描かれてなかった。
↓
・ 描きたかったものってなんだったんだろう? 私はつかめなかった・・・
↓
・ 結果としてハリウッド級のエンターテーメント という定規でお茶を濁すことになった。
↓
・ ドラマ版の方が好きだけれど、映画版も娯楽としてはなかなか良いよ~ とか 不本意な感想をアオタ♀が述べたりする。
↓
・ でも仕方ないよね。だって在天や西英ちゃんを使えないんだもん。条件の中でベストを尽くしてると思う。 と擁護する目線で分析する。
さて、 話を急に戻してみようと思います(笑)
「陳琳をカットしたのは、想像しているよりずっと罪深いことだと思う。その理由① 全体像が観客に届かなかったこと」 についてです。
そもそも、このアオタですら、痞子英雄の脚本家だったら「コントラスト」を描きたい!と思うのに、本物のシナリオチームが、それを思わなかったって・・・・不可解すぎませんか?・・・・絶対おかしい。
「在天がいないんだもん仕方ない」なんて納得してたけれど、本当にそうなのかしら?
むしろ与えられた厳しい条件の中でも、「痞子英雄」の対比美を描こうとしたんじゃないだろうか。
では、何故、結果として英雄とダーフーの綱引きがしっかりなされてなかったのか? それは、最初から、英雄とダーフーのコントラストを根底に引くつもりがなかったからなのです。(仮説)
だって英雄と綱を引っ張りあうのは、ダーフーではなく、陳琳だったから。
出会わずして、引き合う。 平行線の面白さ。 きっとこれを描こうとしてくれたのだと思うのです。
が、しかし なんて罪深いことでしょう・・・・陳琳をカットしてしまったのです(泣) 片方の線が無ければ、平行線の美しさも味わえない。 結果「描きたいもの」が伝わらなくなってしまったのです。
なんで、これだけアオタが堂々と仮説を偉そうに述べられるかと言いますと・・・それは本編のラストシーンに秘密があります。
それがコチラ↓
事件が解決し、ダーフーと分かれた後。ふと車内で三連会の象徴「蓮の花」のバッジを見つける英雄。
そして、彼はそのバッジを当たり前のように車から投げ捨てるのです・・・・。
このシーンが映画のラストシーン。
では、陳琳カットシーンにおけるラストシーンはどんなシーンだったのか?
それがコチラです↓
事件解決後の陳琳。
罪深いなぁ・・・・。
この平行線は説明無用でしょう・・・・。鳥肌。
なんで、陳琳けずちゃったんでしょうか?
ダーフーに情を感じつつ蓮の花を当たり前のように捨てる警察官と、その蓮の花を背負う少女。
この綱引きはとっても美しいんだけどなー。
愛情無いし、シナリオの熱奪うし・・・・ハリウッド目指すってのも案外つまらないものだと思ってしまうのだが・・・
どんどん語ってくださーい!
私は、きっと映画版を観たら、同じような事を歯がゆく思うのだろうなーと思います。
それもこれも、「痞子英雄」を愛しているからです(鼻息っ)。
アイビー側のクレーム・・・・は、きっとね、監督の事務所だから(涙)。もう従うのみ、なんですよね、きっと。
マークにしたってそうです(涙)。監督は素晴らしいとは思うけど、こういうところで、私はいっつもガッカリするんですよね。。。。
で、脚本なんですが、この映画の脚本は、本当に何回も何回も書き直され、当初のストーリーとはどんどんかけ離れていったと記事で読んだことがあります。
だから、結局チュンニンの出る幕がなくなり(激怒)、小馬の出る幕もなくなったという。。。
私は、天才物理学者(女性)と、西英と英雄との、切なく交差する人間模様が観たかったです。。。。で、この天才物理学者の登場も、全くなくなっているというwwwww
このドラマの面白さは、スリリングなアクション・・・・という表面的なものではなく、人々の交錯する思い、じゃないですか。
撮影の様子が記事になるにつれ、「ねー、この映画・・・・・娯楽映画になっちゃうの?!」なんていっつも不安に思っていたものでした。。。。。
もし、ドラマの続編となる映画(本来のね)が製作されるなら、きっと脚本家は・・・・・今回のような脚本には絶対にしないと思うので、ぜひぜひ実現をしてほしいと、思いは募るばかりです(涙)。
>ホイメイさんへ
こんばんわー(*´∇`*)
ホイメイさん宅で「ゲームオーバーのキス」フォトをガン見しちゃったりしてきたのですが・・・あれ・・・いいですねー♥♥♥←話が違うw 個人の趣向気になります!!
>痞子英雄について
事務所うんぬんも関係あるんですねー(泣)御恩と奉公の関係みたいで・・・・しっくり来ないなーと、首をかしげています(´_`。) もっと、熱い絆で結ばれていると思っていたのですが、ちょっと違うのかな?(泣)と最近気付き始めて・・・・悲しいです。
>この映画の脚本は、本当に何回も何回も書き直され、当初のストーリーとはどんどんかけ離れていったと記事で読んだことがあります。
やっぱりなんですねー(泣)西英ちゃんも小馬もやり方によっては、映画でも描けたと思うんですよねー。でも、導演は、ドラマ版のキャストよりも大物ゲストの起用を重視したのかなーって・・・・(悲しい推測)
確かにアンジェラベイビーちゃんもとっても可愛いのですが、正直、ベイビーちゃんを起用したかっただけなのかな?と思ったりしてしまいました。シナリオありきというよりも、キャスティングで「おお~」と言わせるためというか・・・
それよりも、天才物理学者×西英×英雄のほうが「おお~」と言えたと思うのですが(泣)
スケールの大きい娯楽をやりたいという導演の熱い気持ちは伝わるのですが、だからといってシナリオの面白さを蔑ろにするのは、寂しいなーと思います。
キャスティングが難しいのであれば、小説でも何でも良いので、脚本家さんが考えたドラマ版の続編を知りたいです。 でも、痞子英雄映画版第二段は、首部曲の続編を予定していると導演が言っているのを、チラ見してしまいましたΣ( ̄ロ ̄lll) 思いが募りまくりです(苦笑)